今回は「あれほど嫌だった地元が今では恋しい私が生まれた地元」というタイトルで、もし収入が今とそれほど変わらないとしたら地元に帰りますか?という質問に答えて頂きました。
田舎に住んでいた15歳の決心
当時和歌山県の田舎の方に住んでいた15歳の私は、中学校を卒業してからどうしても自分で自由に使えるお金が欲しくて、親の反対を押し切り学業よりも働き自分で収入を得ることを選びました。
しかし私の地元では求人がかなり少なく、ネットの求人サイトには片手で数えられるほどの数しか求人が載せられていませんでした。
田舎の方では、よくお店の扉に求人広告が張り出されていることがあります。
自分で決めた道、親からのプレッシャーを感じながら、私は片っ端しから自転車で行ける範囲内で求人広告を探しました。
都会であれば800円も超えているのが普通だった時代、私の地元では時給700円というものが通常で、800円どころか750円以上の求人なんて本当にありませんでした。
募集していた職種も、梅工場やこじんまりとしたスーパー。
年頃の女の子が働くような場所は、求人なんて全くと言っていいほどなく。
しかし、どうしてももう少し華やかとまではいかずとも、“華の女子高校生”たちが働いているような場所で私は働きたかったのです。
大阪に行きたいことを父親に話すと…
その日私は家に帰り、父にこう伝えました。
「私、大阪にいく。大阪で仕事を探す」
私の言葉をきいたときの父の顔は、今でも忘れられません。
父の表情に怯えつつも、私は父に話しました。
地元の求人の少なさやお給料面でのこと。
元々大阪に住んでいた父は、唸りながらも私の言葉を理解してくれました。
「返事は少し待て」
これはいけたかな?そう思いました。
私は父に言われた通り、父からの返事を待ちました。
数日後、父から告げられた言葉。
「大阪にマンション買うたから、そこに住み。光熱費は自分で払うんやで」
驚きました。
私が知らない間に、こんなに話が進んでいたなんて。
てっきり大阪行きを許してくれたとしても、家などは自分で探さなくてはと思っていました。
しかし私が心配していたことは、父が既に用意してくれていたのです。
あれほど嫌と感じていた地元が恋しくなってしまった…
その後、私は大阪に引っ越し、華やかなアクセサリーショップで働き始めました。
華やかで、お洒落もでき、時給もいい。
本当に夢のようだと働き始めたころは思いました。
嬉しい気持ちが増える半面、数年後。
仕事が落ち着き実家に足を運んだときのこと。
私が和歌山に戻ったことをSNSで知った友人たちが、私の家まで遊びに来てくれたのです。
高校生であった年の間、会えなかった友人たちは皆、大人の女性へと変わっていました。
懐かしい昔話、懐かしいあの場所。
話しているうちにあれほど嫌と感じていた地元が、恋しくなってしまったのです。
私は今でも大阪で仕事を続けているのですが、もし和歌山で同じ収入が得られるのだとすれば、迷わず私は和歌山へ帰ろうと思います。
収入さえ良ければ今すぐにでも帰りたいくらい、私はあの地が好きなのだと気付かされました。
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